3月9日

今日の花:アセビ

花言葉:犠牲


photo 植物園へようこそ
 アセビは漢字で「馬酔木」と書きます。アセボトキシンという毒が含まれていて、馬のような大きな動物も食べると痺れて酔ったようになるからだそうです。
 今日の花言葉はどうして「犠牲」なのでしょうか。この言葉、「いけにえ」とも読み「神に捧げるために生き物を殺すことやそのもの」という意味もあります。アセビを食べたものは神への供物となるということなのかもしれません。また、万葉集にこんな歌がありました。

 礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言
 「磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに」
 (岩のほとりに生えている馬酔木を手折っても、それを見せるべきあなたがこの世にいるとは誰も言わない)

 謀反の罪で刑死した大津皇子(おおつのみこ)の亡骸を二上山に追葬した時に、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が哀傷して作った歌だそうです。

 大伯皇女と大津皇子の父は天智天皇の弟である大海人皇子(おおあまのみこ)で、母は天智天皇の娘の大田皇女(おおたのひめみこ)です。この大田皇女は、同じ母から産まれた妹の鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)と共に、叔父である大海人皇子に嫁ぎましたが、早くに亡くなってしまったために、大伯皇女と大津皇子は祖父である天智天皇の下、皇后の倭姫王(やまとのひめのおおきみ)に育てられます。
 姉弟の父の大海人皇子は、壬申の乱で天智天皇の息子である大友皇子(おおとものみこ)を滅ぼして天武天皇となります。それによって叔母の鵜野讃良皇女は皇后になり、従兄の草壁皇子(くさかべのみこ)が皇太子になりますが、叔母は、同じ高位の血の濃さで、亡くなっていなければ皇后となっていた姉の子供たちが脅威であったようです。
 そこで、前からあった、天皇に代わって天照大神にお仕えする斎王(いつきのみこ)をきちんとした制度として、初代の斎王を大伯皇女にして伊勢に閉じ込めてしまいます。日本書紀垂仁紀に「斎宮を五十鈴の川上に興つ。是を磯宮と謂ふ」と書かれているように、斎王であった大伯皇女は、磯宮と呼ばれる斎宮に住んでいました。
 天武天皇が亡くなると、皇后の鵜野讃良皇女は、大津皇子に謀反の罪に陥れて刑死させてしまいます。これで安泰かと思ったところ、皇太子の草壁皇子は突然亡くなってしまいます。鵜野讃良皇女は、自分の罪に恐ろしくなったのか、罪人として亡くなった大津皇子墓を作ることを許し、大津皇子は二上山に葬られたのです。

 このことを考えて、私なりに大伯皇女の歌を勝手に解釈してみました。
 磯宮で、私(大伯皇女)が天照大神に斎王としてお仕えしたことで、鈴なりの馬酔木の花のように栄えていた叔母様(鵜野讃良皇女)の血(草壁皇子)を殺したとしても、それを見せるべきあなた(大津皇子)はもう死んでしまった。

 突然に亡くなってしまった草壁皇子は、もしかしたら大伯皇女に暗殺されたのかもしれません。そして、鵜野讃良皇女暗殺計画もあったのかもしれません。でも、大伯皇女は空しくなってしまったのかもしれません。
 同父同母を持つ大伯皇女と大津皇子の姉弟は愛し合っていたような気がします。でもそれは、異父や異母の姉弟や兄妹が愛し合うことが許された万葉の時代でも許されないことでした。もしかしたら、鵜野讃良皇女は草壁皇子と大伯皇女を娶せようとしていたのかもしれません。そうしたら最強の天皇家の血が産まれるのですから。でも、思うようにはいかず、大伯皇女と大津皇子が厭わしい関係にならないように大伯皇女を斎王にしたのかもしれません。
 大津皇子は刑死になる前に密かに磯宮を訪れたのだそうです。そこで二人がタブーを犯したとしたら歌の解釈もまた変わってきます。
 磯宮で、天皇家が鈴なりの馬酔木の花のように栄えるように、天照大神にお仕えしてきたことを穢して復讐してみても それを見せるあなたはもういない。
 または、磯宮で、馬酔木の毒を飲むような一夜を過ごしてみても、見せる子供もできなかった。
 または、磯宮で、馬酔木の花のような栄え(子供)を授かったが、その子供は死んでしまった。もしそうだとすると、亡くなってから二年もたってからの葬送は、罪人の大津皇子ではなく、大伯皇女と大津皇子の間にできた子供のものだったのかもしれません。

 もしかしたら、草壁皇子は母の鵜野讃良皇女に殺されたのかもしれません。いずれにしても、鵜野讃良皇が天皇制を確固たるものにするのには、他人にも自分にも多くの犠牲を払ったことでしょう。

2008.01.30